魂は年をとらない

スペイン語クラスの新入生の中にYさんという

お年はたぶん80歳は超えておられる方がおられる

 

Yさんは理路整然としたクリアな話をされる

私なんかよりよっぽど知的レベルは上だ  

 

なのに

Yさんは時々、こんなおばあさんが。。。という物言いをされる

本心半分くらいのトーンだと私には聞こえる

 

 

おそらく、Yさんは

世間はそう思っているだろうから

と、ご自分であらかじめ応えを用意しておられてそれをおっしゃっている

と私はふんでいる

 

私も、たぶんクラスのどなたも、

年不相応なことをなさってるとは思ってない

 

私はYさんの魂を感じとっているので

年齢なんか関係ないんです

 

て言って差し上げたいけど

通じないだろうなぁ

 

 

 

100万分の一

最近、睡眠と認知症の関係が取り沙汰されてる

私、危ないなぁ

長生きしなけりゃいいんだけど

私が決めるんじゃない

 

私は私を模索しながら私を生きてきたけど

私が距離を感じる原因がそこにあるようで

この世に沿いながら生きてきた人たちとは違う言葉を喋ってるように思う

 

だからかな

通じてないなぁと感じる

 

mちゃんは本音言わない

LINEの言葉は差し障りない言葉しか使わない

それが良いことと思っているようだ  

100万人をカバーできる言葉をわざわざ選んでいるかのよう

 

 私は、私って100万分の一の値打ちね

と嬉しくないんだけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世間の皆さまへ

私は本当に馬鹿でおめでたい人間なのかも

 

結婚してない(独り身である)

子供がいない

 

と私が言う時は

事実として言う

だって事実だもの

 

世間(私以外の人たち)は

こうとってることに気づいた

 

 

結婚してない ⤵️  

子供がいない ⤵️

 

ネガティヴな要素だったんだ

 

私は結婚している友人たちより自由な時間があることを

申し訳なく思ってたくらいだ

 

何年か前伯母にそのこと言ったら

「あんた、そんな風に思てるの⁉︎」と⁉︎のニュアンスで言ってたことが蘇ってきた

 

なるほどね

 

世間の皆さま

 

私が「結婚してない」「子供がいない」と言う時はいつでも

ネガティヴな気持ちはこれっぽっちも入ってございませんので

 

関係て変わるよね

最近、面白いなと思ったこと

 

「人」との関係性て劇的に変わることもあるんや

てこと

びっくりするくらい

予想と違う真逆の方向へ

良い方向へ裏返った

 

 

2件立て続けに経験した

 

1つは仕事場で

土曜の仕事受けるにあたって1つの懸念がそこのあるスタッフのこと

10年ほど前にとんでもなく嫌な思いをした

彼女がいるのか〜

これまでも何かしら棘ある対応に出くわした

顔合わさないのが救いだった

けどそうはいかなくなる

案の定、土曜の仕事始める直前に彼女絡みでトラブル

前途多難を予感した

 

だけど

その仕事場自体が抱えてた諸問題を私が大きく背負うような形になって

なんとかクリア  

いざ仕事始まったら一転して

彼女別人!

 

今は一番の協力者だ

彼女の私への対応は丁寧で気持ちのこもったものだ

 

昔の軋轢は彼女の仕事始めたばかりの気負いと熱心さゆえの衝突だったと分析したけど

あれは10年も前だし人は変わるもんなのか、、、とも思う

 

しかし、、、気をつけて見てるとしばしば生徒の父兄に話しかけてる彼女を目撃

一生懸命に彼女なりに力を尽くして生徒たちその父兄たち、つまりお客様を大切にしている

10年前、彼女は未熟でもあったし、気負いもあったろう

加えて熱心さからくる講師への不満みたいなもの?偏見みたいなものや、誤解もあったかもしれない  そういうのを含んだ憤まんがあったんだろう

センターを盛り立てるべくなんとかしなくちゃみたいな気持ちだったのかもしれない

それが当時の私には勘違い甚だしいと映った

勘違いというのはその通りだと今も思うけど、10年経って、再会して「なんとかせねば」や、生徒、保護者を大切に思う気持ちの熱量は近しいと気づいたんじゃないかな

 

私もたぶん変わった

変わろうと思ったことはないけど

昔の私とは違う

と思う

 

 

もう一件は

学生時代のクラスメートY

そりゃお互い若かったから

いろいろと苦い経験してる

けんかこそしてないけどお互い快くは思ってなかったことは確か

お互い大人になった後もなんかしっくりこない

 

そんなYがLINEグループに入ってくることに

正直、誰やー招待したんはーと内心思った

最初は話にあんまり絡まないでおこうと遠巻きに

 

案の定フェイスブック繋がりのせいか

海外旅行の話で盛り上がり始めた

 

フェイスブックって噂どおり、いわゆるリア充自慢なんや

と実態の尻尾つかんだわと思った

 

そんな空気に支配されるのもいやだなぁ

なんとなく思った

ある時、Yの旅行写真の一枚ふと見れば

なかなかの夫婦ぶりが写ってる

素直にええ夫婦やんて

コメントした

 

そしたら、Y

「もしかして私のこと?」て返してきた

 

そっからだ

 

なんかしらうまいこと絡み出した

 

そのLINEグループではまったく通用しない「つっこみ」が

彼女のみに通用するのが分かった

 

広島出身で、プライド高く関西弁毛嫌いしてたのに

なんなんだ この変身ぶりは!

聞けば枚方出身のダンナに鍛えられたんだって

 

私1人、ボケてつっこんで。。表面だけの綺麗事って嫌いな私はそのLINEグループのなんか綺麗事に支配される空気を壊したくて仕方なかった 

だって長い付き合いなんだもの

だけど通じない まともな返事が返ってくる

そしたら、Yがここは皆、お嬢育ちなんやね

私、腑に落ちた

長年、なんで気付かなかったんだろ

 

元々、抑揚のないトーンのストレートな私からしたらきつい物言いだったY

そこが昔、嫌だった

今、そこに関西の味と年齢の丸みが加わって

そしてLINEという媒体の助けもあって

今は通じ合う関係

 

 

 

ほんま

人って面白い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さく生きる

最近の我が家のニュースは

ベランダで育ててる名前の知らないお花がちゃんと根付き

少しづつ育ちまた新たなのつぼみが生まれて

ほっこりほっこり開きつつあること

 

近所のお宅などの沢山の綺麗な鉢植を見て私はとてもいい気分だ

ふと見上げればベランダから素敵な色がこぼれてる

私の家のベランダを見て私と同じ気持ちになる人がいるといいなと思った

 

がしかし、

私は植木をすぐ枯らしてしまう

叔父にもらった三鉢も1度も花を見ることなしに枯らした

 

二楽園で見つけた100円のやつ

肉厚の小さなお花

この子たち丈夫ですよ

店員さんの言う通りだった

 

ベランダをちら見してはニンマリ

それでは足らず花のそばに寄っていつまでもながめてたりする

 

こんな風にして

明日もあさっても明々後日も

過ごせますよう

 

私、中学生か?

 

あー

ちっちぇーなー

 

けど

幸せってこれじゃね?

 

 

 

 

これで私は幸せ

このところDちゃんとLINEでやり取りしてる

 

なんとなく彼女が心配だった

 

それと

こんな時声をかけてもらったら

嬉しいかなと思った

 

私は声かけて貰いそびれたなと

少し残念な気持ちを感じながら

LINEしてる

 

少し私、ずるいかなと

思ってる

 

Dちゃんのこと思いながら書きつつ

一方で私のこと解ってもらおうとしている自分がいる

 

何かしら伝わったみたいで

 

学生時代の友人の中で唯一 、周りの人達の中で唯一?

私の真実を少し理解してくれた人

になってくれたようだ

 

なんだか

少しだけ肩のあたりが軽くなった気がした

 

お花が咲いた、風が吹いた、月が出た、安納芋蒸した

地車の鐘が聴こえる、、、、

 

ささやかなことが私にはとても大切なのだと

自覚でき

それを伝えることができた

 

 

それをDちゃんに解ってもらうことができた

 

 

海外旅行しなくても全然よくって

国内旅行もしない

 

 

ちゃんと呼吸ができ眠ることができ、食べることができ

仕事があり、友人がおり、花が咲き、鳥が鳴き、月が美しく、雲に触ってみたいと思い

汗をかき、予定を考えることができる

それで私は幸せ

 

 

 

 

 

 

語る手相

学生時代の友人Dちゃんの手のひら見て

一瞬、はっとした

 運命線がない

 

やっぱりかぁ

 

と思ったと同時に

手相てなかなかやと思った

 

 

彼女

自分のために生きてない

家族のために生きてる

とても優しいので搾取されちゃう

も一つ

型を生きてて自分を生きてない

みたいやしなと思った

 

私は

最近、くっきり上の方に運命線が現れた

 

手相って

語るよ