第九とパンケーキ

従妹の友人がヴァイオリンを弾くというので
従妹、妹夫婦と第九を聴きに行った

脳からα波が。。。
気持ちよかったー

その後パンケーキ(抜群に美味しかった)食べながら
溜まっていた伯母のSちゃんの話をした

93歳、独り暮らしのSちゃんの現状を伝えるのが私の今日の目的

まずまず伝えることができたかなと思う



従妹Emちゃんは伯母との関わりがあまりない
だけど自分の母親の代わりに手を貸したい
と申し出てくれている




そうなのだろうか

妹やEmちゃんのお母さんEkちゃんは
独りの寂しさ、孤独を想像することがほんとうにできないのだろうか
家族のある人には分からないのだろうか

半年前頃、Sちゃんはどこかが痛いやらなんやらとEkちゃんに電話した
行ってみると寂しい寂しいと泣きついたらしいけど体はぴんぴん
Ekちゃんは騙されたと言う


寂しいというだけで電話したら駄目なのか?

「寂しい」は甘えなのか?わがままなのか?


EkちゃんにSちゃん、寂しいねん
と言うとおうむ返しに寂しいねんと言った
ただのおうむ返し?

それとも

心の底では分かっていても
封じ込めているのか


Ekちゃんも自己防衛するに値する高齢だ
どうせ世話できないのなら深入りすべきではない

plus、
EkちゃんとSちゃんの関係は私が知らん部分の方が多い
姉妹仲というのは微妙なものだ
長い長い間築きあげられてきたもので
仲が良くないのはたいてい双方の責任でどっちか一方だけが悪いのではない


自分や自分の家族に不利益が被らないようにするのは当たり前
。。。なんだろうけど

そこは世間体とか義理とか
無償の愛?とか?

で乗り越える
こともあり得る


私はほっとけない
ほっておく自分が想像できない
できることはやる
と思っている
けどできない事はやらない
と予防線ははっている
一方、結局私がやる羽目になるかもしれない
覚悟はある


まぁ
おそらく私には家族がいないからだろう

人の愛の埋蔵量はそう変わりはない

注ぐ先が幾つもあるとそらセーブするやろ


そこに身体的制限(80歳の手前だったり)が加わったらなおの事だ


などと色々考えさせられ
Sちゃんの問題が片づいたわけじゃない


だけどその日は
気のおけない人たちと話し
美しい調べを生で聴き
美味しいパンケーキを食べ


満足だった