mkのこと

mkがケアを渇望しているのは明らかだと思った

つきっきりだと落ち着いた

 

 

テキストのページを引き破いた

彼女はそれでも自分をセーブしているのが分かった

ぐちゃぐちゃの紙片をセロテープでくっつけてやる

それでもぴたっとならない

 

mk、ここにも微妙なパーツ要るな〜

 

 

そしたらmkは「これ」とほんの一ミリ幅ほどの残骸を差し出した

それもくっつけてやる

mkはおとなしい

 

正直面倒だった

他の2人は自習状態だ  「〇〇やっといて」と言い渡したのも終わってるやろ、と思う

 

けど、mkは欲しいのはこういう時間なんだ、とひし、と感じた

自分だけに関心が向けられ自分だけの為に何かをやってくれる人がいる、自分のそばに寄り添ってくれる人がいる

 

あー  解ってしまうのは辛い、しんどい

それ(mkに寄り添う)は私、ではないし、

ならそれを解決する手立ては?と、私は又考えはじめてる

それは私の仕事、では無いだろう本来は   と別の私が言ってる

 

mkのママーーー  

 

 

そこまでやるー?

小53人のクラスの1人mkが荒れてる

彼女のことを受け容れることが正直負担になってきた

多分、同じクラスの2人のお母さんがmkのことについて言ってこられなかったらそのまま私は耐えていたような気もする

酷さに麻痺して気づかなくなっていたのが覚醒させられたみたいな

 

けどhkがmkの暴力的な言葉に傷ついている様子が見えてきたのでそちらの方は気になっていた

 

決意してmkのお母さんにどこかに相談に行かれるのもいいかもしれない、とメールに書いた

hkのお母さんがmkとmkのママを誘ってお茶しながら話ししてくれたそうで、結局専門医に通う、とmkのママは決断したとメールしてくれた  有り難い

だけど、改善が見られるまで、この状態でいいのか。。。

 

やはり打つ手は打ってもどうしてもレッスンが中断し他の2人に申し訳なくなる

これを続ける訳にはいかない

昨日は久しぶりに本気の声で叱った  以前に効果あったから

しかしながら昨日は駄目だった

5年生にもなったら自分の行動がいかに迷惑行為か分かりはず、と思うのが間違っているのだろうか

彼女の鬱積はそれを勝るのだろう  多分それが正解だろう

 

mkへの苛立ち、

レッスンを中断させられる苛立ち全く進まない苛立ちももちろんあるけど

私自身への苛立ちもある

私の優しさが相手を増長させるではとの思いがいつもある

かつての恋人との関係でも思った  友人との人間関係でも

 

完全に突き放す勇気がないのだ  できないのだ 

そこまでして私は人に嫌われたくないのか

 

右の頬を打たれたら左をも差し出す

あれだ

 

闘う勇気がない

 

 

いや、今だって十分闘いだ

これが私の闘い方なんだろう

辛すぎる  

 

冷静になろう

私は学校の教師ではない、心ケアのボランティアでもない  マザーテレサではない

 

レッスンを遂行するのが一番の仕事だ

 

それを脅かされる状態をなんとか打開せねば

 

 

mkに「このままではhkたちといっしょに英語をやっていくのは駄目だ

1人離れて別にやろう」と言おうかと考えている

 

つまりどういうことになるかと言うと

 

1つはhkたちと絶対離れたくないmkへの脅し

1つは貴重な30分休みを彼女のために潰すいうことになる

全くのボランティア行為だ   

 

でもそれが今一番の最善策に思える

 

あーぁ 

 

あーぁ

 

 

 

そこまでやるー?

 

 

中国語

だいぶ前に書いた下書きがいくつか溜まってるのでアップ

これは一昨年の暮れ

 

 

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中国語始めて一年

まだ持ってるボキャブラリーの数はたいしたことないけど

少しずつ自分で表現できるようになってきた

車内アナウンスもだいぶん聞き取れるようになってきた

一漢字の発音はどうも一種類なので読めるようにもなってきた

ピンインばかり見てたせいか漢字が書けなかったけど書けるようにもなってきた

発音や四声も考えるより自然と出てきたので正解の場合が多い

とは言えまだ自信ない

でも主な発音はこの一年でかなり網羅してきてるみたい

パターンは多分そんなに多くはない ピッチと漢字で区別するわけだから

ただ、私の問題は語順

 

ヨーロッパ言語の語順感覚が邪魔

かえって日本語に近いのに  そこがネック

単語のニュアンスは英語とダブる 知らず知らず英語を当てはめている

english-chineseの辞書をいずれ買おうと思う

 

中国語という言語にもだいぶん慣れてきて分かってきた

5年も6年もやってる人より発音は上手だと思う

中国人の先生に褒められる

 

 

弱さと力強さ

 

知り合いKさんのご主人が亡くなった

ある種の白血病の告知を受けあっという間

亡くなった翌日にお葬式(お別れの会)

その後Kさんは、ご主人が入院中には名古屋への引っ越しを決めてはいたものの、亡くなった直後から引っ越し準備、40年住んだ家の売却も決め、、、

 

哀しみの中に自分を置かない

 

 

 

私は返ってKさんの弱さを見てしまう

 

だけど

全て自分を守るための行動なのだと思うと

やはり賢いし力強い

 

 

宇多田ヒカル

人の(所謂)不幸に同情できない

と言っていた

 

私もだ

 

 

だけど宇多田ヒカルみたいに人には言えない

 

 

100年の遠さ

先日、一駅先のスタバで Iと遭遇  声をかけた

5年以上会ってない  

 

私から離れた

それまで結構頻繁に会って話をしてたのに

高校時代から友人で、家族ぐるみでの付き合いもあった

親友とも言える間だった  (お互い親友だなんて言葉は好きじゃないから口が裂けても言わない)

 

なんで離れたか

決定的瞬間はあったけど

 

そこに至るまでに既に

私は彼女といてたくさんのストレスを感じるようになっていたから

その時が来た時は彼女から離れることは何の決断もいらなかった

 

スタバでよく会ってた  

彼女と話しているうち、テーブルの下の私の指は血が止まらなくなる

苛々してささくれをいじっているうち、酷い逆むけになり出血してしまう

別れて家に帰る道すがら頭の中で彼女に毒づいてる自分がいる

 

そしてあの決定的瞬間、

ほんとにあるんだと思った    漫画で見た、あの一瞬で周りと自分が切り離され

さーっと景色が遠のく

現実に戻る時一瞬周りが歪んで景色が変わった    びっくりだ

 

その年、毎年書いてた年賀状がなかなか書けない

書くのが辛い 心も手も重く進まない

けどなんとか書いた  それが最後

彼女からは何度か来てたけど私は出さなかった

無理に書く気にはならなかった

 

久々に見た彼女にに声をかけれたのは

もうかえって友達でもなんでもないからだと思う

彼女はただの知り合い  になってしまった

 

「 l  ?」と声かけたら、一瞬、私の顔を見て表情が明るくなった

元気?と先に聞いたのは彼女の方

トレーを返すところだった彼女の横顔はなんだか暗かった

 

息子のこと旦那のこと話し始めた

いつまで経っても楽にならないわと言いたげ

これからご飯の支度 で彼女は締めくくった

「◯◯は?」

なんとか元気、、、

仕事がやっとうまく行きだして、、、

私は死ぬまで働きたい

lがfさん (彼女の夫)にはまだ当分働いてもらうわ 

を受けてそんなことを口走ってしまった

 

ほんとにそう思う

 

もちろんできる限り長く働きたい

という意味だけど

 

明日死んじゃうかもしれない

ということでもある

 

 

「また良かったら!(連絡ちょうだい)」

と彼女は言ってくれた

 

でも、それはない

 

 

 

 

 

 

 

英語センスなくても大丈夫

数年前、ある公立大学の講師や準教授や教授の市民講座を受講した時、大したことないなと思った先生が何人かいた   その中には東大卒の方々もいた

 

私には逆立ちしたって何したって入れない大学を出て教授をしている方たち

 

なんだろ、、、特に英文学の講座の先生たち

私には容易に読み取れるくだり、、特に自分は詩を読み取るのが得意かもしれないと思った

 

あと、仲良くしてる同僚たち、彼女らのTOEICスコアは900点越えしてる

彼女らの英語力も怪しい  

 

私に聞きにくる  

 

その問題のレベルだって、、、私には???

ある絵を表して playing  a drumと書いてある   なんでaでtheじゃないの?

マクドの I'm loving it  なんで  I love it じゃないの?

 

私は日本生まれ日本育ちで学校英語出身だけど、英文からメッセージをうまく受け取れるみたいだ

それは理屈ではなく感覚だ

私にはその絵は playing a drum にしか見えないし  I'm loving it の何がいけないのかと思う

 

昔、研修で、by a car と言ったアメリカ人講師に  by car じゃないんですか?と楯突いた講師仲間がいた (いかにも未経験そうなきれい系の女性でハイヒールを履いて貫禄つけようというのが丸わかり。。。あーこういう講師が見下されるのだと学んだ)

私はそうとも言うんだと思った  若いそのアメリカ人講師は案の定説明出来なかったけど、ネイティブスピーカーが何故そう表現したのか考えるのは面白いことだと思う

 

その楯突いた講師や同僚たちのように、学校で習った英語が全てでそんな風にしか英語を捉えられないなんて、、、

仕方ないことなのだろうか

 

私にはたぶん、、センスみたいなのがあるのだろう

英語センスはあるけど点数とるセンスはない  

点数とるセンスてあるのだろうか  あるような気がするけど、怠け者ていうだけじゃないのか

 

ある問いに対する答えを導くための情報処理の速さや正確性は、より多く問題にあたることによって養えるのだろう

それやってないもんな  

努力してない  

私は努力するための価値観を持ち合わせてない

 

 

良い学校に入る人たち、そこで教鞭とるまでになる人たち

価値観を同じうする人たちの中での競争に勝ち抜く努力をしてきた人たち

生まれた環境にその価値観は存在し道はついてるような気がしてならない

 

 

現在、スペイン語始めて3年、中国語は1年半

とても楽しい  

語学上達には目標を持つこととよく言われてるけど

私には目標などない

学ぶこと自体が楽しい

どちらの国にも特に思い入れはない

 

言葉というものが面白い

だからそれを学ぶことも面白い

 

 

私の生徒たちにもそんな風に感じて英語を学んでほしい

 

と思ってやってる

 

 

英語センスなくても大丈夫

面白いって思えたら勝ち

 

 

なんか話が違う方へ行った