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電車が私の部屋だったら

Flannery O'connorの 《Everything that rises must converge》について書いた記事が検索に引っかかってるみたい 

へー 

今年どこかの大学で取り上げられてるのだろうか

誰かその記事を元にレポート書いてるのだろうか

 

ちょっと訂正したいんだけどな

 

 

◾️

 

 

体の疲れがとれない

幸い空いた電車に乗ってゆられて目を閉じ

雲を思い浮かべ、懸命に雑念をはらってしてたら

どこかの何かがピキッて鳴って何かが外れて体の力がすっと抜けた

汗がほんの少しじんわり出てなんと体が少し軽くなった

あーよかった

ほんの少し美人に見える

のは気のせいか

 

そして仕事終えて

まじ眠たい

 

あーこういう眠たさは貴重だ

 

電車が私の部屋だったらなぁ

 

 

裏返ってしまいたい

金曜の夜はうすーくしか眠れてない

原因は何だろう

久々牛肉を食べたから

が有力か?

あと強い日差しに当たりすぎたこと

あとH子ちゃんと話に興じて興奮が持続していること

土曜の仕事には思ったほどひびかなかったけど

ともかくしんどかった

そんな時何もかもほったらかして眠ればいいのかもしれないけど

それができない

やることやらないと無理

 

今、日曜夜に突入

まだ寝不足感がある

 

 

体の疲れを出すべく昼風呂する

頭をからっぽにして

コンデンスミルク色を思い浮かべたり

もくもくした雲を思い浮かべたり

その雲の上で体を横たえる自分の様子を思い浮かべたり

これが私のリラックス法

瞑想てこんな感じ?

冥界て乳白色なのかと思う

 

 

疲れが皮膚のすぐ下まで上がってきて汗になって出て行く感覚

これ貴重

きたきた

 

そのうち世界が裏返るような感覚

 

 

いっそ

裏返ってしまったらいのに

 

 

 

 

 

始動

土曜にレギュラーの仕事が入った

担当講師が辞めてクラスを引き継ぐという仕事

ぜったいもらえないと思っていたので

嬉しかった

 

スタートするまでいくつかの壁

おいしい話には何かあるってことかと思ったけど

クリアした

 

私はハピーだ

クリアできたこともだけど

乗り越えるべき壁があること

それに積極的に取り組める自分がいること

子どもたちお母さんたちの信頼を得られたと感じること

スタッフの信頼を得ることができ感謝されてると感じること

 

そうそう、他のクラスに目をやっても

最近感じてるのは

子どもたちがちゃんと努力していること

その努力が身になってること

 

ほんまえらいなぁと思う

htにしろtyにしろ極々普通の子たちだ

特に英語センスがあるわけではないし英語好きとも思えないけど

読めるようになってるし理解できるようになってる

彼らの努力の賜物だ

htなんか自分から、英文応用して自分のことを表現するようになってる!

2人はお互いに負けたくないと思ってるみたいでそれもいい具合に作用してる

と、今のところ仕事はうまく回ってる

あーよかった

 

 

私は競争は苦手だ

避けてきた

努力もしない

 

子どもらには頭が下がる

 

ある時もの凄い突然もの凄い壁を神さんは

私の目の前に置いた

日頃努力しないせいだろな

そんなことでもない限り成長はないってことだ

なんとか壁を崩さないと先がないのだった

 

ここ何年は日頃の努力じゃないけど

ハードな代講を引き受けてきた

もうどんな厄介なクラスを持たされてもクリアできる、、

確信はないけどおそらく引き受ければクリアできてるのだろうと思えるようになった

厄介を解決すべく対処していくのがむしろ楽しいかもしれない

 

今回も当日までほんと眠れなかった

意識はしてないつもりでも心拍数は上がっており

心臓は縮こまり体も固まってたのだ

けどその日私はけっこう思ったより勇ましいのだった

 

 

で、その土曜クラスは動き始めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「攻め」で

最近、家を出るまで10分しかないというのに

お弁当作ろう!

て作り始めて

できてしまうのだ

 

手際の良さとかそういうのではなく

(大したもんは作らないし)

その攻めの気持ちが。我ながら嬉しい

以前はできなかった

 

中国語クラス、スペイン語クラスでも

難問、といっても入門レベル基準だけど

 

あてられて、そういうのやらされる方が楽しい

今日は西暦◯月◯日◯曜日を中国語で即答した後は時間を即答

前期ではもちろんできなかった

 

けど中国語は思ったより易しい言葉だったな

発音と四声が難関だけど

 

新人さんたちのレベルが高いのでびっくりした

6年ほどもやっている人たちで初級コースはレベルが高すぎて入門コースに下りてきたとのこと

最初焦ったけどいやいやマイペースで行こう

 

初級では授業が全て中国語で行われるそうで

入門とのレベル差がありすぎるらしい

今は「◯◯ページ見てください」さえあぶない

半年の語彙力じゃあ仕方ないよな

 

これから作文していって見てもらおう

 

さてスペイン語

巻き舌ができたらかっこいいのに

 

ちょっと練習してみるかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銀河を泳ぐ

つかれた

 

ありがたいことに夕べは布団に入って何分かで眠りについたみたい

疲れてて眠れない時は最悪

よかったうれしい

目が覚めたときはどっとしんどいのはいつものことだから仕方ない

だけどそこに夕べの疲れがのっかってるのを感じる

 

もう交感神経は働きつつある

眠ったら体はよけいしんどくなる

 

iPad開けたらH子ちゃんからのメッセージが飛び込んできた

もーっ鋭い神経いらん

 

原田郁子さんの『銀河』を久し振りに聴こうと思った(今日は何にもしたらへんねん)

聴いてたら神経がほどけて

子供みたいに泣いていた

 

デトックス

かなり楽になった

 

ネガティヴな言葉を避けてる人いるのでしょうけど

私はつかれてる時はつかれてると認める

すっと腑におちる

私の脳はおいそれと騙されないと思う

 

涙は心の汗

てどっかで聞いたことがあった

なんだかえらく陳腐な飾り言葉に聞こえた

けど、事実だ

 

 

年を重ねると

涙は心の〜みたいなのとか

古くからの使い古されたような常套句が意外と真実だと分かったりする

 

なんかがっかりする

 

そこに至るまで茨の道を来たのだ

そこで巡り会った言葉が結局それ?

 

常套句は嫌い

誰にも当てはまると重宝されてきた言葉

「誰にも」というのが許せない

 

それを事実と思って口にするのと

常套句だからと口にするのと

えらい違いなのに同じに聞こえるって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20年ぶりのSteven Tyler

去年、妹と甥っ子がSteven Tyler 行くと言うので

悔しいから私のチケットもとっといてと頼んだ

11000円!

 

で二週間前、ライブが土曜日だと知り

仕事と半分かぶるのが判明

で、しかも前日、ZEPP OSAKA のbaysideというのが分かり

諦めようかと思ったけど

結局

 

行った

思ったより早く仕事終われたし

 

駅から会場に向かってると

後ろから走る靴音が

 

見たらおばちゃんやった

たぶん同年代

あの人も仕事やったんやろなぁ

私はよう走らん

 

けど会場着いたんはほぼいっしょだった

 

スタンディングは一階

 

ドア開けたら

人がぎゅうぎゅうで今にもあふれ出しそう

入る余地なし

 

だめ元で二階指定席へ

席一つくらい空いてるかもしれん

そのあたりはライブ慣れ

 

やっぱり係員がおった

「スタンディングは一階ですよね」(白々し)

て去りかけたら二階にもスタンディングありますよ

て、親切に言ってくれ

中入ったら

 

後方、空き空きやん!

大阪城ホールなんかの後方とは訳が違う

Steven Tylerの表情が見える距離!

 

おかげさんで

ゆったりDream onを聴き

Walk this way踊りまくった

 

正直、どうでもいい曲も多かった

エアロの曲はやってくれないのかと思ってたら

やってくれた

(オープニングSweet emotionだったそう)

 

そもそもSteven Tylerはブルースシンガーだ

(少なくとも私はそう思ってる)

もっとbluesyな曲が聴きたかったなー

 

けど、

ライブ最後どっこかで聴いたリフ

 

ツェッペリン

Whole lotta love‼️

だった

 

もうこれ聴けただけで

よい!

 

仕事の後、はるばる来た甲斐があった

半分おじゃんでも、、

 

 

妹たちはステージから2メートルの距離

揉みくちゃでも、「そこ」にSteven がいる!醍醐味

堪能したらしい

 

甥っ子と

Whole lotta love

の感激シェア

 

 

誰かと行くライブもいいなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

適当が最高

ここ何年だろ

お花をいい塩梅に差せるようになった

あくまで私の感覚だけど

 

以前はあーじゃない、こーじゃないと

何度もお花の向きを変えてそれでもキマらない

自分のことを呪っていた

 

 

差す前のイメージなどなくて適当に差すだけ

長さも葉っぱもあまりいじらないの

 

この方がいいかなと動かしても

やっぱり最初の方がいい

たぶん一、二分で差し終わる

 

ところでこの《適当》ていう言葉

だから《適当》なんだ

 

いい具合に差せたお花をしょっちゅう眺めてしまう

 

自己満足

 

 

 

自己満足の何が悪い