振り返る

その前の年から大阪に住む93になる伯母のことで心労、疲労を抱えながら年越しして新年を迎え年頭はイライラしていたようだ

あまり覚えてない 

一年前のことがはるか前のことのように思える

ツイッター辿ってみたら色々。

意外と充実してたやん

 

新年早々代講から仕事が始まった

朝から結構な距離を移動せねばならず大変だった

一年前の1日だけの代講、覚えてくれた子たちがいた

どうしてるかなぁ  あの子たち のんちゃん!

 

 

 

面倒な事、色々処理した

やれるだけの事やった

 

代講終わる頃急に代講ではない正式な仕事の依頼があった 

これもスタートから大変だったけど乗り切った

そこの子たち、お母さん達も「この先生、知ってる!」て

イベントで毎年来ていたらしく私のことを覚えていてくれてた

何年も前に私の体験レッスンを受けたことがあると言うお母さんもいた

この時長年続けてきた甲斐があったと思った

少し報われた気がした

 

 

そう、スティーブンタイラーのライブ行ったのが4月

勿論良くもあったんだけど

スティーブンタイラーは当然だけど熟練の域

熟練した彼に私はもう用ないの

で、シニアが多いライブはもう行きたくないと思った

なんか嫌  

その後妹に誘われた無料ライブは断った 

 

 

中国語も二期目に入った 

だいぶんと分かってきた

予習復習も苦じゃない

スペイン語は入門クラスに飽きて初級へ

レベル上げてよかった  

 

どう学ぶかわかってるんだと気づいた

教える立場として、自分がやっていることに自信が持てると思った

 

5月に入って引き継ぎの仕事も軌道に乗ってきた

半ば頃秋にやるイベントの実行メンバーを引き受けざる負えなくなった

けど、勢いづいてる私はちょいチャンスかもと思った

 

7月頃からイベント準備が始まった

これも前途多難なスタートでどうなるかと思ったけど

うまくいった

しんどかった

けど、たくさん学んだ

 

11月にあった別のイベントはちょい失敗

何が原因かと思う

一昨年とどこが何が違ったのか

明らかに違ったのは自分で作った紙芝居の出来

今回は今回で苦労したのに 

比べるとそこに込められた思いが薄かったかな、、?

これまでにやって成功したものを取り入れたので上手くいくのは当たり前だと思ってた

この安心が駄目だったのかもしれない

 

どちらにせよ

Nちゃんがイメージするイベントに乗り切れないのは確かだ

そこを自分なりにやることが課題

 

Rくんに会ったのは何時だっけ

ショッキングなことを彼は話した

自死した若者のこと

後で気づいたけど、私は遺された人達の立場で話すことはなかった

その若者になり代わっていた

 

 

「死ぬ勇気」と「生きる勇気」ずっと考えてる

 

同列に思う

 

そうだ

従弟が伯母のことで電話してきたのはいつだっけ

ひどく厄介  

彼は自分が何を言ってるのか分かってなかった

あのままならもう一切話したくない

話にならないから

 

 

結局、伯母のこと彼に一任することに。

私が望んだ訳ではないのに

 

スペイン語講座文集を作ることになり

確か締め切りは夏の暑い時

困った

テーマは「私とスペイン語

縁もゆかりもないスペイン語

結局、縁もゆかりもありませんと書いたようなもの

 

他の皆さん、文章がお上手なの

私、これだけブログ書いてるのに下手くそなのはなんで?

 

文章教室行こうかと少し思う

小説書きたい

小説家になりたいのではなく、小説書きたい

ネタがたまり過ぎた  早く吐き出したい

 

 

続く