心のある場所

北海道から昨日戻った
体が軽い
ストレスたまってたな

叔母を訪ね叔父の一周忌にお線香をあげるのと
クラムボンのライブが目的

叔母は一人暮らし
パーキンソンを患ってて泊めてもらうのは無理かなと思ってたら
ぜひ泊まってほしいって

従妹がきちんと部屋を準備してくれてた
バスタオルやタオルなんかもおろしたてで(高価なものではないけど)ありがたかった

人がきちんと暮らしてきた家てよいなぁ
昔建てた家だけど
(昔だからこそか)しっかり建てられた家ていいなぁ
落ち着く
安心感安定感がある

体が不自由な人のためのしつらえもそれは快適に暮らすための心づくしだし

ヘルパーさんのお掃除はプロの技だし
(たった40分で仕上げるそうだ)

いろんなところに人の心があるのは素敵なこと

叔母の状態も心配だったけど
叔父が亡くなった直後よりふっくらしてる
右手が不自由でどうしてるのか見てみたらメールも食事も左手でこなしてる

叔母は無意識だったそう
自然と左手使いになってた
私が指摘して初めて気づいたって

叔母にはいろいろ聞いてもらった
妹のことやこれまでのこと

苦労知らずのように見えるらしい私だって
のほほんと生きてはいないという証人が1人できた
かも


「こんな穏やかに見えるのに」と叔母は言った
「若い」とも


生きてたらある程度は「穏やか」ならざる顔になり年齢が顔に刻まれるのが当たり前

感受性に乏しく我が儘に生きてきたなら別だけど



人一倍鋭い感受性を持ちながらこの姿この顔でいる
ということは人に不快感を与えまい心配かけまいとどれだけ気遣い自分を抑えてきたかってこと


だから私は病んでしまったんだから




若いのは頭が若いから
長いものに巻かれない生き方をしてるから

世間に巻かれたら世間並みに年をとる
当たり前だ


叔母は私の年を知ってるので「若い」というけど

他人に若いだなんてまだ一度も言われたことがない

年齢も不詳みたいだから
「若い」だなんて言い様がないんだと思う


「若い」だなんて言われた日はショックだろうなぁ


あ、札幌の地下鉄で
席を譲られそうになった

どうも妊婦さんに間違えられたみたい


これって
喜ぶべきなん?
憂えるべきなん?