学問は楽し

神戸外大の先生によるリレー講座はとうとう最後の三人目の講師になった

専門はイギリス文学の教授さん
「最近は実用的な語学講座の受講者が多い中、文学を選んでいただいた皆さん…」などと言ってたけど
そうかぁ確かになぁ
受講者は30人定員のところ8人で最近の出席者は5人ほど

大学の先生ていいなと思う
小中高までは教科書を教えなければならないけど大学は好きなことを教えてよいのだ
私が面白いと思うのはその内容がまるで一般的でないことだわ

なので遠慮なしにそれおかしいんじゃない?とか思ってもよいわけで
実際は「おかしい」「へん」とは言わないけど「私はこう思いますけどどうですか?」と言ったりはする
そういうのはすごく楽しい

高校までは異議申し立ては不可だしそんな大それたことはできるわけないし異議なんてないわな、そもそも
「これが正しい」としか教えられないし

今回私が「へん」というか疑問に思ったのは
その教授さんがホメロスの《オデュッセイア》と《旧約聖書》を同列に並べてることだ
どっちも名前しか知らないのだけど抜粋していただいた文章だけでもあれっと思った
教授がおっしゃるには(今回のテーマではないんだけど)まったく違うこの二つがヨーロッパ文明の底に流れる二大潮流キリスト教的なものヘレニズム的なものというのはわかるけど
二つの違いを「時の捉え方」(今回のテーマ)で説明するのはなんだかなんだかなぁ…と思ってしまった

そもそもの疑問は
「聖書」は文学?ということ


で、講義が終わってから
教授に聞いてみた
「何を文学とするかで変わってきます」

イギリスでシェークスピア少し後に書かれた何とかいう聖書の話
フランス文学にはデカルト?カント?(忘れた)だかの思想の影響があるがイギリス文学にはないとか
丁寧に話してくださった
結局よく解らなかったが「文学の枠組みというのははっきりしてないのですね」と聞くと「そうですね」ということだった

つまり私が「聖書は文学ではない(のではないか)」と思うことは私の自由だということだ




学問て自由で楽しい




余談:あと《オデュッセイア》にしたって当時ホメロスはこれを書いたのではなく聴衆たちに語ったのではないかと私は思うんだけど

だから時系列が一貫してないんじゃないの?
書記みたいなのがいて書き取ったんじゃない?
で、それってやっぱり文学なのかしら