残してしまうコーヒー

クリエのコーヒーは口に合わずいつも途中までで残してしまう

 

こないだ後輩のhdさんと入ったカフェはミックスサンドもコーヒーもとびきり美味しくて感激した

あそこはカフェやなく元々喫茶店だったのだろう

メニューも客層もそれ

 

みるみる満員になって、、分かるわ 

美味しい   450円に見合う

hdさんとは古い付き合いだけど

よく知ってるわけじゃない

 

 

けど20年以上講師仲間としての付き合いがある

20年は大きいと思った

覚えているのだ

誰も覚えてないだろうと思ってたこと

 

少し前話したのもお互いの生徒が姉妹なのでその縁で

偶然出会ってお茶した

気づいたら3時間くらいは話してた

 

彼女のことで信用に足ると思ったことがある

 

イベントの時も目立たず協力してくれたし

予期しない労いのLINEもくれたり

 

こういう人はありがたい

 

 

 

 

 

 

 

 

失礼!春休み中

仕事柄ちょっとした春休み

この春の募集では5人ゲット

ざまぁ見ろ!て言いたい

ここまで来るのにどれだけかかったか

 

私のやってることがどれだけ些細なことのなのか

世間からどのよう見えてるのか

時々垣間見えたりするけど、いいの

私は私に恥じないように、そして私の周りの空気を常にきれいにしておくだけ

 

私は誰にも頼ってない  何故かというと頼る人がいないから

心の拠り所は「私」だ  

 

その「私」を私は大切にして生きていくつもり

 

 

大切にされている人は人に大切に扱われる

と私は思うの

 

私の家

この頃は以前ほどブログを書いていない

 

 

だんだん私の内世界は薄まり小さくなり

外世界に滲んで境がわからなくなってきてるよう

 

自分の中に自分の家があった

私はいわゆるヒキコモリじゃなかったけど

自分の中に家を築き、そこで暮らし、そこから外の景色を見てた

 

居心地なんて全然よくないし、だんだん散らかるし、家ごと外に出るもんだから

もう重くて重くて仕方なくなって、

それこそだんだんぼろ家になって

 

ええかげん出るべきだったに違いない

 

この身が軽い

どこへでも行けそう

誰とでも話せそう

 

 

私はかつて

重い重い家ごとどこへでも行ったし

誰とでも話した

 

 

今は

どこへも行かないし

誰とでも話したりしないの

 

 

必要なくなった

 

 

私は私の外に

素敵なお家を築いていこう

 

そして

ちゃーんと私を守ってあげるのだ

 

 

 

 

 

 

 

土曜の夜に

土曜が1番ハード

目覚めたら気ぃ重い

だけど知ってる

私はちゃんとクリアする

 

意外と土曜の夜は早く訪れるのだった

 

今夜は気温6℃

ふぁー楽だ

数日前までは体が寒さで縮んで

疲れるったら

 

うちは室温低い

オリーブ油が固まって使えないんだから

 

 

私はどうしてクリエイターにならなかったんだろう

音楽だって可能性あった

絶対音感もあった

アートは?

小学生の頃の夢はデザイナーだった

デザイン画、上手かった

 

 

センスはあったと思う

1番の原因は

心と頭が自由ではなかったことかな

 

今の私の方が自由かもしれない

 

で、もっともっと年とったら

子供に戻るようなので

その時何か生み出してみたい

 

 

 

 

今のスキージャンプ

私は認めてないの

美しくない

 

 

昔々は

スキーはあんな開いちゃだめだった

ぴったり閉じてたんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時まで待つ

Kからのメールをスルーしてる

のが気になってる

 

けど、そのメールに返事するのも気が重い

開けるのさえ気が重い

 

さてさてどうするか。。。

 

彼女と友達でいたいのか

そうでないのか

 

 

わざわざ近況を知らせてきた

彼女の気持ちを汲んであげたい

 

と思う

 

だけど

 

 

そうそう肝心なこと忘れてた

 

私は彼女にひどく傷つけられたことがある

頭の中は全く立ち直っていて普通に話すこともできた

 

心はまだ癒えてないようで

拒絶反応する

 

今、心に正直になって

そっちに従ってる

 

 

いつか

自然とメールを読み返せる時が来たら

返事しよう

 

 

その時が来なかったら

 

 

来なかったまでのことだ

 

 

 

ってことだ

 

 

冠詞について

スペイン語講座で冠詞をやっている

 

なんとなく英語と若干違うんだろなと思いながら先生の話を聞いてたけど途中から耳に入らなくなった

 

Me gustan las frutas.

El perro es mejor amigo del hombre.

 

las frutasも el perroも共にそれぞれ(果物、犬)の総称を表す

なぜ果物は複数で、犬は単数なのか?

に対する先生の回答

 

なんか変と思った

何て言ってたのか思い出せない

 

私ならこう考える

 

果物の種類は多い

いちごにバナナにりんごにパイナップルに桃に、、、etc.

 

個体差は大きい

一方、犬は、どうだろう

種類は多いけど果物ほどの個体差はない

と言えると思う  

 

総称を表すには果物の場合複数が自然だ

犬の場合は単数でもカバーできると思う

 

たぶん犬の場合、スペイン語では単数で総称を表すのが一般的なんだろうけど

もし話者の頭の中にプードルやチワワや柴犬やドーベルマンなど様々な犬が存在しているなら los perros となったかもしれない

単数で総称を表すのが定着した時代はおそらく犬の種類なんてさほど無かったのでしょうね

 

 

私が考える、英語の不定冠詞、定冠詞はこうだ

 

「犬」と複数の人に言う

それぞれの人の頭に浮かんだ「犬」は 違うかもしれない

だけど一般に「犬」と呼ばれるものを思い描いたはず

それが a dog だ  

 

 

「果物」と言えば、、、?

不可算名詞と思っている人がいると思うけど

頭に浮かんだものは a fruit  でオッケー 

 

では 「ピアノ」

これについては100人いてもほぼ同じものを思い描く

これが   play the piano の the piano

(買う時は a piano だけどね)

 

「太陽」

これも同じ 

the sun 

 

 

 スペイン語と英語の冠詞の使い方は若干違うみたい

 

これに関してはおいおい解ってくるだろう

 

 

 

 

 

 

 

やっと分かった

やっと分かった

彼女らの世界はとても狭く

受け入れられる事も人もとても限られているのだ

これは無理と察知するとスッと差し障りない言葉に変わったり、

別の話にすり替わったりする

無意識の自己防衛なんだ

 

これまでも、分かって欲しくて話し始めても

よくある事、誰もがそう、と収められてしまのうのは

彼女たちの未熟さなのだと分かった

上からものを言うようにこちらには聞こえるけど

未熟さ  

 

未熟さ

 

それも仕方ない

生きてきた世界が違う

 

私の方が特殊なわけで

 

こないだは多少強引だったけど

なかなか良い雰囲気だったので

少しずつ話してみた

 

Mmの顔はびっくりするくらい歪んだ

見たことない表情だった

 

投げ込まれたことのない重い重いボールの処理に困った様子だった

 

それを受け入れられるミットは持ってない

と分かった

 

さらりと話題変えた

 

 

その日は

とても楽しんでくれて

大満足の1日だったと嬉しそうだった

 

多分私が投げた重い重いボールのことは忘れてると思う

彼女の脳はそう処理したはず