土曜の夜に

土曜が1番ハード

目覚めたら気ぃ重い

だけど知ってる

私はちゃんとクリアする

 

意外と土曜の夜は早く訪れるのだった

 

今夜は気温6℃

ふぁー楽だ

数日前までは体が寒さで縮んで

疲れるったら

 

うちは室温低い

オリーブ油が固まって使えないんだから

 

 

私はどうしてクリエイターにならなかったんだろう

音楽だって可能性あった

絶対音感もあった

アートは?

小学生の頃の夢はデザイナーだった

デザイン画、上手かった

 

 

センスはあったと思う

1番の原因は

心と頭が自由ではなかったことかな

 

今の私の方が自由かもしれない

 

で、もっともっと年とったら

子供に戻るようなので

その時何か生み出してみたい

 

 

 

 

今のスキージャンプ

私は認めてないの

美しくない

 

 

昔々は

スキーはあんな開いちゃだめだった

ぴったり閉じてたんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時まで待つ

Kからのメールをスルーしてる

のが気になってる

 

けど、そのメールに返事するのも気が重い

開けるのさえ気が重い

 

さてさてどうするか。。。

 

彼女と友達でいたいのか

そうでないのか

 

 

わざわざ近況を知らせてきた

彼女の気持ちを汲んであげたい

 

と思う

 

だけど

 

 

そうそう肝心なこと忘れてた

 

私は彼女にひどく傷つけられたことがある

頭の中は全く立ち直っていて普通に話すこともできた

 

心はまだ癒えてないようで

拒絶反応する

 

今、心に正直になって

そっちに従ってる

 

 

いつか

自然とメールを読み返せる時が来たら

返事しよう

 

 

その時が来なかったら

 

 

来なかったまでのことだ

 

 

 

ってことだ

 

 

冠詞について

スペイン語講座で冠詞をやっている

 

なんとなく英語と若干違うんだろなと思いながら先生の話を聞いてたけど途中から耳に入らなくなった

 

Me gustan las frutas.

El perro es mejor amigo del hombre.

 

las frutasも el perroも共にそれぞれ(果物、犬)の総称を表す

なぜ果物は複数で、犬は単数なのか?

に対する先生の回答

 

なんか変と思った

何て言ってたのか思い出せない

 

私ならこう考える

 

果物の種類は多い

いちごにバナナにりんごにパイナップルに桃に、、、etc.

 

個体差は大きい

一方、犬は、どうだろう

種類は多いけど果物ほどの個体差はない

と言えると思う  

 

総称を表すには果物の場合複数が自然だ

犬の場合は単数でもカバーできると思う

 

たぶん犬の場合、スペイン語では単数で総称を表すのが一般的なんだろうけど

もし話者の頭の中にプードルやチワワや柴犬やドーベルマンなど様々な犬が存在しているなら los perros となったかもしれない

単数で総称を表すのが定着した時代はおそらく犬の種類なんてさほど無かったのでしょうね

 

 

私が考える、英語の不定冠詞、定冠詞はこうだ

 

「犬」と複数の人に言う

それぞれの人の頭に浮かんだ「犬」は 違うかもしれない

だけど一般に「犬」と呼ばれるものを思い描いたはず

それが a dog だ  

 

 

「果物」と言えば、、、?

不可算名詞と思っている人がいると思うけど

頭に浮かんだものは a fruit  でオッケー 

 

では 「ピアノ」

これについては100人いてもほぼ同じものを思い描く

これが   play the piano の the piano

(買う時は a piano だけどね)

 

「太陽」

これも同じ 

the sun 

 

 

 スペイン語と英語の冠詞の使い方は若干違うみたい

 

これに関してはおいおい解ってくるだろう

 

 

 

 

 

 

 

やっと分かった

やっと分かった

彼女らの世界はとても狭く

受け入れられる事も人もとても限られているのだ

これは無理と察知するとスッと差し障りない言葉に変わったり、

別の話にすり替わったりする

無意識の自己防衛なんだ

 

これまでも、分かって欲しくて話し始めても

よくある事、誰もがそう、と収められてしまのうのは

彼女たちの未熟さなのだと分かった

上からものを言うようにこちらには聞こえるけど

未熟さ  

 

未熟さ

 

それも仕方ない

生きてきた世界が違う

 

私の方が特殊なわけで

 

こないだは多少強引だったけど

なかなか良い雰囲気だったので

少しずつ話してみた

 

Mmの顔はびっくりするくらい歪んだ

見たことない表情だった

 

投げ込まれたことのない重い重いボールの処理に困った様子だった

 

それを受け入れられるミットは持ってない

と分かった

 

さらりと話題変えた

 

 

その日は

とても楽しんでくれて

大満足の1日だったと嬉しそうだった

 

多分私が投げた重い重いボールのことは忘れてると思う

彼女の脳はそう処理したはず

 

 

振り返る の続き

10月あたりから不定期のスペイン語会話を始めた 

スペイン語クラス有志4人だけでスペイン人の女の先生を囲んでのカジュアルなクラス  楽しい!

新しいことやりたくて始めただけだけど、通じようが通じまいがとにかく思いつくスペイン語を口から発している

すごいリフレッシュになる  

 

他のお三方は当てられた時しか喋らないけど私は知ってる言葉は使いたい

これ、なんで若い頃できなかったのかと思う

間違えるのが恥ずかしいのはすごくわかる

若い頃はそうだった  今も基本そう  日本人だもの

 

だけど、楽しさが勝るのだ

中国語も同じ

 

スペイン語人口、中国語人口、英語人口

合わせたら地球上の人口ほぼ網羅するんじゃない?意図したわけじゃないけど

世界征服間近!?

 

 

 

今年の誕生日はなんかしらビッグなものになった

ほんとびっくり

いわゆる還暦というやつ

祝ってもらうなんて考えもしなかった

妹家族、m子さん、h子ちゃん

ありがとう

 

時たま考える いくつ春を経験したのか

春を60回、夏を60回、秋を60回、冬を60回経験した

これって多いの?

60の春の集積  夏の集積  秋の集積  冬の集積

みんな私の血肉

愛しい60の春夏秋冬

 

地球が太陽の周りを60回周った

何回周ろうと私は私

何周しても私

 

 

そういや、退会を考えているという生徒のお母さんたち3人

あれも立て続けだった   3人は大きい  

経験で得た手持ちのあらゆる事例、私自身の考え方やり方をしたため、説明し解っていただいた  お母さんたちの心は戻ってきた

小6のTの突然の反乱には驚きショックを受けたけど、結局「ここは面白い」 て戻ってきた  

してやったり! と思った

何か問題が起こればちゃんと対処する自分を今年は特に自覚した

自分を褒めてやりたいと思ったり

 

 

12月はあっという間に来てあっという間に年末になった

秋のイベントの後、風邪ひいてずっと体調崩したまま師走に入って

半ばあたりまで引きずってた

オリジナルのクリスマスカードは何年か前にやめた

 

年賀状はいまだ干支は自分でデザイン?し、全て手書きしてる

ハンコを使ってのデザインはなーんとなく出来上がる  

なーんとなくだから楽になったけど面白みが薄れた

飽きてきたようだ  なんか新しいことやってみようか

あまり力込める気もないかな

 

年賀状の数、今年また何件か減らした

年々少しずつ減らしてる

これも自然な流れ

 

今年もお節はかまぼこ以外、妹と手作り

妹が音をあげた  来年は何もしたくないて

うー。。。。そうかぁ

お重に詰めるのも大変やねんでーて

それだけやないもんなぁ

 

お節作り終えたら、いつものようにガキ使

おもしろくない

そろそろ紅白に戻るか

 

31日深夜、妹宅から家へ帰る途中

除夜の鐘を聞いた

除夜の鐘  この、ど-アナログ

永久に続けて欲しい

 

 

2017終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返る

その前の年から大阪に住む93になる伯母のことで心労、疲労を抱えながら年越しして新年を迎え年頭はイライラしていたようだ

あまり覚えてない 

一年前のことがはるか前のことのように思える

ツイッター辿ってみたら色々。

意外と充実してたやん

 

新年早々代講から仕事が始まった

朝から結構な距離を移動せねばならず大変だった

一年前の1日だけの代講、覚えてくれた子たちがいた

どうしてるかなぁ  あの子たち のんちゃん!

 

 

 

面倒な事、色々処理した

やれるだけの事やった

 

代講終わる頃急に代講ではない正式な仕事の依頼があった 

これもスタートから大変だったけど乗り切った

そこの子たち、お母さん達も「この先生、知ってる!」て

イベントで毎年来ていたらしく私のことを覚えていてくれてた

何年も前に私の体験レッスンを受けたことがあると言うお母さんもいた

この時長年続けてきた甲斐があったと思った

少し報われた気がした

 

 

そう、スティーブンタイラーのライブ行ったのが4月

勿論良くもあったんだけど

スティーブンタイラーは当然だけど熟練の域

熟練した彼に私はもう用ないの

で、シニアが多いライブはもう行きたくないと思った

なんか嫌  

その後妹に誘われた無料ライブは断った 

 

 

中国語も二期目に入った 

だいぶんと分かってきた

予習復習も苦じゃない

スペイン語は入門クラスに飽きて初級へ

レベル上げてよかった  

 

どう学ぶかわかってるんだと気づいた

教える立場として、自分がやっていることに自信が持てると思った

 

5月に入って引き継ぎの仕事も軌道に乗ってきた

半ば頃秋にやるイベントの実行メンバーを引き受けざる負えなくなった

けど、勢いづいてる私はちょいチャンスかもと思った

 

7月頃からイベント準備が始まった

これも前途多難なスタートでどうなるかと思ったけど

うまくいった

しんどかった

けど、たくさん学んだ

 

11月にあった別のイベントはちょい失敗

何が原因かと思う

一昨年とどこが何が違ったのか

明らかに違ったのは自分で作った紙芝居の出来

今回は今回で苦労したのに 

比べるとそこに込められた思いが薄かったかな、、?

これまでにやって成功したものを取り入れたので上手くいくのは当たり前だと思ってた

この安心が駄目だったのかもしれない

 

どちらにせよ

Nちゃんがイメージするイベントに乗り切れないのは確かだ

そこを自分なりにやることが課題

 

Rくんに会ったのは何時だっけ

ショッキングなことを彼は話した

自死した若者のこと

後で気づいたけど、私は遺された人達の立場で話すことはなかった

その若者になり代わっていた

 

 

「死ぬ勇気」と「生きる勇気」ずっと考えてる

 

同列に思う

 

そうだ

従弟が伯母のことで電話してきたのはいつだっけ

ひどく厄介  

彼は自分が何を言ってるのか分かってなかった

あのままならもう一切話したくない

話にならないから

 

 

結局、伯母のこと彼に一任することに。

私が望んだ訳ではないのに

 

スペイン語講座文集を作ることになり

確か締め切りは夏の暑い時

困った

テーマは「私とスペイン語

縁もゆかりもないスペイン語

結局、縁もゆかりもありませんと書いたようなもの

 

他の皆さん、文章がお上手なの

私、これだけブログ書いてるのに下手くそなのはなんで?

 

文章教室行こうかと少し思う

小説書きたい

小説家になりたいのではなく、小説書きたい

ネタがたまり過ぎた  早く吐き出したい

 

 

続く 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完璧である必要はなく

私はようやく生きるのが楽しい

今までに失ったものも取り返しつつある

 

私は家も思い出の品もお気に入りの絵も洋服も新品の靴もバッグも何もかも失ったけど

意外とそんなものはどうでもいい物だった

両親はいつか亡くなるし

 

だけど、信頼だけは

取り戻すべきものだ

 

 

だけど、必死になって取り戻さなければならないものでもなかった

必死にならなくても取り返せる

どうやらそれまでに払った対価で十分のようなのだ

 

ありのままの私でよい

 

そのまま向き合い

対処する

できなかったら

できなかった理由があるだけ

 

完璧である必要はなく

何か、誰かが補完してくれる