やっと分かった
やっと分かった
彼女らの世界はとても狭く
受け入れられる事も人もとても限られているのだ
これは無理と察知するとスッと差し障りない言葉に変わったり、
別の話にすり替わったりする
無意識の自己防衛なんだ
これまでも、分かって欲しくて話し始めても
よくある事、誰もがそう、と収められてしまのうのは
彼女たちの未熟さなのだと分かった
上からものを言うようにこちらには聞こえるけど
未熟さ
未熟さ
それも仕方ない
生きてきた世界が違う
私の方が特殊なわけで
こないだは多少強引だったけど
なかなか良い雰囲気だったので
少しずつ話してみた
Mmの顔はびっくりするくらい歪んだ
見たことない表情だった
投げ込まれたことのない重い重いボールの処理に困った様子だった
それを受け入れられるミットは持ってない
と分かった
さらりと話題変えた
その日は
とても楽しんでくれて
大満足の1日だったと嬉しそうだった
多分私が投げた重い重いボールのことは忘れてると思う
彼女の脳はそう処理したはず
振り返る の続き
10月あたりから不定期のスペイン語会話を始めた
スペイン語クラス有志4人だけでスペイン人の女の先生を囲んでのカジュアルなクラス 楽しい!
新しいことやりたくて始めただけだけど、通じようが通じまいがとにかく思いつくスペイン語を口から発している
すごいリフレッシュになる
他のお三方は当てられた時しか喋らないけど私は知ってる言葉は使いたい
これ、なんで若い頃できなかったのかと思う
間違えるのが恥ずかしいのはすごくわかる
若い頃はそうだった 今も基本そう 日本人だもの
だけど、楽しさが勝るのだ
中国語も同じ
スペイン語人口、中国語人口、英語人口
合わせたら地球上の人口ほぼ網羅するんじゃない?意図したわけじゃないけど
世界征服間近!?
今年の誕生日はなんかしらビッグなものになった
ほんとびっくり
いわゆる還暦というやつ
祝ってもらうなんて考えもしなかった
妹家族、m子さん、h子ちゃん
ありがとう
時たま考える いくつ春を経験したのか
春を60回、夏を60回、秋を60回、冬を60回経験した
これって多いの?
60の春の集積 夏の集積 秋の集積 冬の集積
みんな私の血肉
愛しい60の春夏秋冬
地球が太陽の周りを60回周った
何回周ろうと私は私
何周しても私
そういや、退会を考えているという生徒のお母さんたち3人
あれも立て続けだった 3人は大きい
経験で得た手持ちのあらゆる事例、私自身の考え方やり方をしたため、説明し解っていただいた お母さんたちの心は戻ってきた
小6のTの突然の反乱には驚きショックを受けたけど、結局「ここは面白い」 て戻ってきた
してやったり! と思った
何か問題が起こればちゃんと対処する自分を今年は特に自覚した
自分を褒めてやりたいと思ったり
12月はあっという間に来てあっという間に年末になった
秋のイベントの後、風邪ひいてずっと体調崩したまま師走に入って
半ばあたりまで引きずってた
オリジナルのクリスマスカードは何年か前にやめた
年賀状はいまだ干支は自分でデザイン?し、全て手書きしてる
ハンコを使ってのデザインはなーんとなく出来上がる
なーんとなくだから楽になったけど面白みが薄れた
飽きてきたようだ なんか新しいことやってみようか
あまり力込める気もないかな
年賀状の数、今年また何件か減らした
年々少しずつ減らしてる
これも自然な流れ
今年もお節はかまぼこ以外、妹と手作り
妹が音をあげた 来年は何もしたくないて
うー。。。。そうかぁ
お重に詰めるのも大変やねんでーて
それだけやないもんなぁ
お節作り終えたら、いつものようにガキ使
おもしろくない
そろそろ紅白に戻るか
31日深夜、妹宅から家へ帰る途中
除夜の鐘を聞いた
除夜の鐘 この、ど-アナログ
永久に続けて欲しい
2017終わり
振り返る
その前の年から大阪に住む93になる伯母のことで心労、疲労を抱えながら年越しして新年を迎え年頭はイライラしていたようだ
あまり覚えてない
一年前のことがはるか前のことのように思える
ツイッター辿ってみたら色々。
意外と充実してたやん
新年早々代講から仕事が始まった
朝から結構な距離を移動せねばならず大変だった
一年前の1日だけの代講、覚えてくれた子たちがいた
どうしてるかなぁ あの子たち のんちゃん!
面倒な事、色々処理した
やれるだけの事やった
代講終わる頃急に代講ではない正式な仕事の依頼があった
これもスタートから大変だったけど乗り切った
そこの子たち、お母さん達も「この先生、知ってる!」て
イベントで毎年来ていたらしく私のことを覚えていてくれてた
何年も前に私の体験レッスンを受けたことがあると言うお母さんもいた
この時長年続けてきた甲斐があったと思った
少し報われた気がした
そう、スティーブンタイラーのライブ行ったのが4月
勿論良くもあったんだけど
スティーブンタイラーは当然だけど熟練の域
熟練した彼に私はもう用ないの
で、シニアが多いライブはもう行きたくないと思った
なんか嫌
その後妹に誘われた無料ライブは断った
中国語も二期目に入った
だいぶんと分かってきた
予習復習も苦じゃない
スペイン語は入門クラスに飽きて初級へ
レベル上げてよかった
どう学ぶかわかってるんだと気づいた
教える立場として、自分がやっていることに自信が持てると思った
5月に入って引き継ぎの仕事も軌道に乗ってきた
半ば頃秋にやるイベントの実行メンバーを引き受けざる負えなくなった
けど、勢いづいてる私はちょいチャンスかもと思った
7月頃からイベント準備が始まった
これも前途多難なスタートでどうなるかと思ったけど
うまくいった
しんどかった
けど、たくさん学んだ
11月にあった別のイベントはちょい失敗
何が原因かと思う
一昨年とどこが何が違ったのか
明らかに違ったのは自分で作った紙芝居の出来
今回は今回で苦労したのに
比べるとそこに込められた思いが薄かったかな、、?
これまでにやって成功したものを取り入れたので上手くいくのは当たり前だと思ってた
この安心が駄目だったのかもしれない
どちらにせよ
Nちゃんがイメージするイベントに乗り切れないのは確かだ
そこを自分なりにやることが課題
Rくんに会ったのは何時だっけ
ショッキングなことを彼は話した
自死した若者のこと
後で気づいたけど、私は遺された人達の立場で話すことはなかった
その若者になり代わっていた
「死ぬ勇気」と「生きる勇気」ずっと考えてる
同列に思う
そうだ
従弟が伯母のことで電話してきたのはいつだっけ
ひどく厄介
彼は自分が何を言ってるのか分かってなかった
あのままならもう一切話したくない
話にならないから
結局、伯母のこと彼に一任することに。
私が望んだ訳ではないのに
スペイン語講座文集を作ることになり
確か締め切りは夏の暑い時
困った
テーマは「私とスペイン語」
縁もゆかりもないスペイン語
結局、縁もゆかりもありませんと書いたようなもの
他の皆さん、文章がお上手なの
私、これだけブログ書いてるのに下手くそなのはなんで?
文章教室行こうかと少し思う
小説書きたい
小説家になりたいのではなく、小説書きたい
ネタがたまり過ぎた 早く吐き出したい
続く
完璧である必要はなく
私はようやく生きるのが楽しい
今までに失ったものも取り返しつつある
私は家も思い出の品もお気に入りの絵も洋服も新品の靴もバッグも何もかも失ったけど
意外とそんなものはどうでもいい物だった
両親はいつか亡くなるし
だけど、信頼だけは
取り戻すべきものだ
だけど、必死になって取り戻さなければならないものでもなかった
必死にならなくても取り返せる
どうやらそれまでに払った対価で十分のようなのだ
ありのままの私でよい
そのまま向き合い
対処する
できなかったら
できなかった理由があるだけ
完璧である必要はなく
何か、誰かが補完してくれる
Patarson は 実在する (『パターソン』ジム・ジャームッシュ)
今日はオフ
水曜は割引てことに気づいて
久々シネリーブルへ
何観ようか迷ったけど
カウリスマキが引退するって頭にあったせいか
ジャームッシュ観ることにした
まぁハズレないていうか
なんか好き
Paterson て映画
相変わらずの感じ
裏切られない
淡々と人が現れ去る
の繰り返し
少しずつ変わるのがいいのだろう
同じテンポだから
お金かからないだろうなぁ
て 終わってから思う
観てる間は淡々のリズムに同調している
最後にちょっと私のリズムが狂う
永瀬正敏登場
彼の英語、もっと日本人ぽかったら良かったのに
けっこう練習しただろうこと思うと
敢えてそうしたのか。。。
ばりばり日本人アクセントだったらどうだろう
アメリカ映画でお決まりの日本人アクセントはもうアウト
なのかもね
ジャームッシュはスタイリッシュだもの
偶然とおバカでできてる世界
本当は偶然て存在しないことを
ジャームッシュは知っているのかも
patarn person で patarson か
ちゃんと向き合う
今年の夏は夜通しエアコンをかけると決め
体はこれまでの夏より楽だ
9月に入った
最低気温が25度とかになって
かなり涼しい
エアコンはつけてない
よかった
夏を無事越せそうだ
自律神経やられてる私は
感じる暑さは自分のせいであると思っていた
自律神経が上手く機能すれば過ごし易くなると思っていた
実際そうだった
汗をかくようになったら体表温度が下がる
心が穏やかだと体感温度は確実に下がる
さらに気持ちも向上すると、暑さをどうするか対策を考えるようになった
遮光カーテンをつけた
カーテンのない小さめの窓には車用の日除け
できる限り日光を入れないよう工夫
マットレスを使わない、、、体温を発散
サーキュレーター購入
煮炊き減らす など
家の中は随分と快適もどきとなり、過ごせるようなった
バンザイ!
トラブル、ちょっとした困難、にちゃんと向き合い対処することは
楽しいことなのだ
◼️
講師の仕事は常に孤独
だけどクラスを統治する王様でもある
王様同士が集まってグループで何かやる場合
けっこう難しい
私は最年長なので
最年長なりの役割を果たさないと
と一応思っている
初っ端からトラブったけど
第一難関突破
第二難関も
まだまだあるだろけど
大丈夫
やだけど
やる
中国語10ヶ月
中国語
10ヶ月修了
自分で整理できていた初歩の文法で構成されていたテキストの文章が
段々とこれまでの文法知識ではカバーできないのが多々登場するようになった
先生の説明ではカバーしきれないのだ
質問してもかえって例外が増え、分からなくなる
それでも質問するけど
面白いから
先生を非難してるのではないの
中国語ってそんなものなんじゃないかと思ってる
まず、やっぱり私の勘どおり
品詞の概念はフィットしないような気がする
品詞で説明するとなんか矛盾が生じてくる
中国語文法の歴史はまだ浅いとクラスメイトのmさんは言っていた
まだちゃんと確立されてないと思った方がいいのではないか
私とmさんの結論は
文法的にこれは絶対ダメというのはあっても
これでないと絶対ダメというのはないのかも
だ
まぁこれは中国語に限ったことではないとは思うけど
中国語はより寛大なのではないか
という予感がする
どの言語にも言えるのは
文法が先にあったわけではなく言葉が先なんだから
こんな多様でいい加減な生身の人間が喋ってるんだもの
きちんとルール化できるわけがない
てこと
また来季も引き続き受講する
適当に頑張る