小さく生きる

最近の我が家のニュースは

ベランダで育ててる名前の知らないお花がちゃんと根付き

少しづつ育ちまた新たなのつぼみが生まれて

ほっこりほっこり開きつつあること

 

近所のお宅などの沢山の綺麗な鉢植を見て私はとてもいい気分だ

ふと見上げればベランダから素敵な色がこぼれてる

私の家のベランダを見て私と同じ気持ちになる人がいるといいなと思った

 

がしかし、

私は植木をすぐ枯らしてしまう

叔父にもらった三鉢も1度も花を見ることなしに枯らした

 

二楽園で見つけた100円のやつ

肉厚の小さなお花

この子たち丈夫ですよ

店員さんの言う通りだった

 

ベランダをちら見してはニンマリ

それでは足らず花のそばに寄っていつまでもながめてたりする

 

こんな風にして

明日もあさっても明々後日も

過ごせますよう

 

私、中学生か?

 

あー

ちっちぇーなー

 

けど

幸せってこれじゃね?

 

 

 

 

これで私は幸せ

このところDちゃんとLINEでやり取りしてる

 

なんとなく彼女が心配だった

 

それと

こんな時声をかけてもらったら

嬉しいかなと思った

 

私は声かけて貰いそびれたなと

少し残念な気持ちを感じながら

LINEしてる

 

少し私、ずるいかなと

思ってる

 

Dちゃんのこと思いながら書きつつ

一方で私のこと解ってもらおうとしている自分がいる

 

何かしら伝わったみたいで

 

学生時代の友人の中で唯一 、周りの人達の中で唯一?

私の真実を少し理解してくれた人

になってくれたようだ

 

なんだか

少しだけ肩のあたりが軽くなった気がした

 

お花が咲いた、風が吹いた、月が出た、安納芋蒸した

地車の鐘が聴こえる、、、、

 

ささやかなことが私にはとても大切なのだと

自覚でき

それを伝えることができた

 

 

それをDちゃんに解ってもらうことができた

 

 

海外旅行しなくても全然よくって

国内旅行もしない

 

 

ちゃんと呼吸ができ眠ることができ、食べることができ

仕事があり、友人がおり、花が咲き、鳥が鳴き、月が美しく、雲に触ってみたいと思い

汗をかき、予定を考えることができる

それで私は幸せ

 

 

 

 

 

 

語る手相

学生時代の友人Dちゃんの手のひら見て

一瞬、はっとした

 運命線がない

 

やっぱりかぁ

 

と思ったと同時に

手相てなかなかやと思った

 

 

彼女

自分のために生きてない

家族のために生きてる

とても優しいので搾取されちゃう

も一つ

型を生きてて自分を生きてない

みたいやしなと思った

 

私は

最近、くっきり上の方に運命線が現れた

 

手相って

語るよ

 

未知が面白い

今月は遊びすぎた

連休中は友人たち呼んで

連休明けは奈良のK先生訪ねて

翌週は難波行ってパンケーキ食べて

その週末はサッカー観に行った

 

疲労の上にテンション上げて仕事してたから

神経振り切れちゃって

あーちょっとやばい領域へ、、、

 

眠れず全く体の疲れが回復せず

 

どうしようかと思った

 

昨夜は神経鎮めるのに成功

そしたら疲労が襲ってきて電車降りたらふらふら

 

こりゃあかんと10時あたりに床についた

覚醒し出したのが4時

熟睡感はなし

 

 

まーいいか

どっかでちょびっとづつ取り戻せばいい

 

 

 

◼️

 

 

 

こないだ高校1年のスーパーグローバルサイエンス科に通うSちゃんに

家で毎日何時間勉強するの?と聞いたら

 

4時間だって

 

朝、2時とか3時に起きて勉強やるんだって

 

ほえー

私、そんなことしたことない

 

そんな私が彼女の先生であっていいのか

 

 

最近、教えることがなくなってきた感があるのだ

私も勉強せねば

彼女のため新たな教材ソース見つけないとだめかもしれない

この先生からもう学ぶことはないと思われたら嫌だ

 

 

勉強の楽しさて未知との出会いだと

最近分かる

この年で気づく

 

だって勉強が楽しいなんて思ったことないもの

 

自分で中国語やスペイン語やり出してわかった

 

 

多少馴染みのあるスペイン語より

得体の知れない中国語の方が面白い

 

正体が少し見えてきたと思ったら

甘かった

で、ちょっとどんより雲がかかったみたいな

そんな状況で嫌気の影が差したけど

どうやら初心者が立ち入る領域ではないのが分かった

いずれそこの領域へ入れば見えてくるだろう

 

行けるかどうか分からないけど

 

 

「難しい分からない分からない」て何度も言ってたスペイン語クラスの新人さん、

たぶん60代さん

 

どう分かりたいんだろう

 

人によって自分の中への収め方は違う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電車が私の部屋だったら

Flannery O'connorの 《Everything that rises must converge》について書いた記事が検索に引っかかってるみたい 

へー 

今年どこかの大学で取り上げられてるのだろうか

誰かその記事を元にレポート書いてるのだろうか

 

ちょっと訂正したいんだけどな

 

 

◾️

 

 

体の疲れがとれない

幸い空いた電車に乗ってゆられて目を閉じ

雲を思い浮かべ、懸命に雑念をはらってしてたら

どこかの何かがピキッて鳴って何かが外れて体の力がすっと抜けた

汗がほんの少しじんわり出てなんと体が少し軽くなった

あーよかった

ほんの少し美人に見える

のは気のせいか

 

そして仕事終えて

まじ眠たい

 

あーこういう眠たさは貴重だ

 

電車が私の部屋だったらなぁ

 

 

裏返ってしまいたい

金曜の夜はうすーくしか眠れてない

原因は何だろう

久々牛肉を食べたから

が有力か?

あと強い日差しに当たりすぎたこと

あとH子ちゃんと話に興じて興奮が持続していること

土曜の仕事には思ったほどひびかなかったけど

ともかくしんどかった

そんな時何もかもほったらかして眠ればいいのかもしれないけど

それができない

やることやらないと無理

 

今、日曜夜に突入

まだ寝不足感がある

 

 

体の疲れを出すべく昼風呂する

頭をからっぽにして

コンデンスミルク色を思い浮かべたり

もくもくした雲を思い浮かべたり

その雲の上で体を横たえる自分の様子を思い浮かべたり

これが私のリラックス法

瞑想てこんな感じ?

冥界て乳白色なのかと思う

 

 

疲れが皮膚のすぐ下まで上がってきて汗になって出て行く感覚

これ貴重

きたきた

 

そのうち世界が裏返るような感覚

 

 

いっそ

裏返ってしまったらいのに

 

 

 

 

 

始動

土曜にレギュラーの仕事が入った

担当講師が辞めてクラスを引き継ぐという仕事

ぜったいもらえないと思っていたので

嬉しかった

 

スタートするまでいくつかの壁

おいしい話には何かあるってことかと思ったけど

クリアした

 

私はハピーだ

クリアできたこともだけど

乗り越えるべき壁があること

それに積極的に取り組める自分がいること

子どもたちお母さんたちの信頼を得られたと感じること

スタッフの信頼を得ることができ感謝されてると感じること

 

そうそう、他のクラスに目をやっても

最近感じてるのは

子どもたちがちゃんと努力していること

その努力が身になってること

 

ほんまえらいなぁと思う

htにしろtyにしろ極々普通の子たちだ

特に英語センスがあるわけではないし英語好きとも思えないけど

読めるようになってるし理解できるようになってる

彼らの努力の賜物だ

htなんか自分から、英文応用して自分のことを表現するようになってる!

2人はお互いに負けたくないと思ってるみたいでそれもいい具合に作用してる

と、今のところ仕事はうまく回ってる

あーよかった

 

 

私は競争は苦手だ

避けてきた

努力もしない

 

子どもらには頭が下がる

 

ある時もの凄い突然もの凄い壁を神さんは

私の目の前に置いた

日頃努力しないせいだろな

そんなことでもない限り成長はないってことだ

なんとか壁を崩さないと先がないのだった

 

ここ何年は日頃の努力じゃないけど

ハードな代講を引き受けてきた

もうどんな厄介なクラスを持たされてもクリアできる、、

確信はないけどおそらく引き受ければクリアできてるのだろうと思えるようになった

厄介を解決すべく対処していくのがむしろ楽しいかもしれない

 

今回も当日までほんと眠れなかった

意識はしてないつもりでも心拍数は上がっており

心臓は縮こまり体も固まってたのだ

けどその日私はけっこう思ったより勇ましいのだった

 

 

で、その土曜クラスは動き始めた