適当が最高

ここ何年だろ

お花をいい塩梅に差せるようになった

あくまで私の感覚だけど

 

以前はあーじゃない、こーじゃないと

何度もお花の向きを変えてそれでもキマらない

自分のことを呪っていた

 

 

差す前のイメージなどなくて適当に差すだけ

長さも葉っぱもあまりいじらないの

 

この方がいいかなと動かしても

やっぱり最初の方がいい

たぶん一、二分で差し終わる

 

ところでこの《適当》ていう言葉

だから《適当》なんだ

 

いい具合に差せたお花をしょっちゅう眺めてしまう

 

自己満足

 

 

 

自己満足の何が悪い

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に重り

今週はカタギのみなさんには申し訳ないんだけど

春休みみたいなもん

 

進級問題やらで頭悩ませられた日々を終えての春休みだ

旅行行ったりなんてしない お金ないから

新しいコースのマニュアル読みと体調調整にあてる

 

真面目だ

何より嬉しいのは

先に〇〇があるからこれをしとこうと思い

やれることだ

当たり前なんだけど

病んでる人間にはこれができない

 

準備ができない自分はさらに自分を責める要因になるし

常に土壇場の危ない橋を渡らなくてはならず

油汗にまみれ、テンパり、パニクり、なんとかなんとか凌ぐのだ

失敗はつきものだった

それが私の評価として定着していくのだった

 

その地獄のサークルから抜け出した

今はプラスを積み重ねてると思う

たとえ失敗はあっても結果として受け入れる

原因も冷静に判断できる

 

準備できる私に私が驚いている

苦じゃないのだ

とことんやる自分にもびっくりする

やってしまうのだ

 

まぁ

調子にだけは乗らんとこ

 

気をつけていても乗ってしまうのが調子

 

自重てやつ

 

自分に重りをつけるっちゅうことか

 

 

 

 

 

なかなかの難題

過去記事を読むのが好き

なかなか良いこと書いてるやんとかけっこう度々思う

 

最近はツイッターにちょこちょこ書いてるせいかこちらには書いてなかった

ちょっとフラストレーションたまってる

そういやhatenaダイアリーではツイッターが表示される機能があったけどこちらはないな

 

最近のツイートはパリやミラノの'17秋冬コレクション

GUCCHのアレッサンドロミケーレはやっぱり別格の素晴しさって話

とか、中居くんのこと

中居の窓て番組を見るようになって中居株がぐぐーんとアップ

彼が好きになったってこととか

あーアレッポのドキュメンタリー番組のこととか

 

興味は多岐

ていうのかな

あっちいったり、こっちいったり

私のアンテナはあらゆる方向に向き反応するからしょうがない

 

 

このブログのタイトルは私の頭の中だけど

私の頭の中はこんなもんじゃない

 

ツイッターもブログもテーマを絞れない

テーマを絞れば読者なるものがついたりするのかな

 

今日は1度目が覚めたのは7時頃で

おそらく交感神経は働き出してたのだろうけど

そのまま起きず体を休めようと雑念を追い払ううち浅く眠ったようで

次は10時

 

グループlineに2件のメッセージ

 

今の私のテーマ?の一つ

このグループで私はどれだけ私を晒したらいいのだろうかということ

 

なかなかの難題

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命はお風呂場のカビと同じくらい大切

スポンジのような人だと思った

私の友人

 

彼女は若くして亡くなった

30代だった

スポンジだと思ったのは

(緩衝材とも言えるけど)

 

人の重みや痛さのクッションになり

吸収さえしてしまうかのような

そんな余白を持ってそうなそんな人だった

 

 

優しさ

と言ってしまえそうだけど

 

彼女の弱さでもあった

と思う

 

強さとは

何事も何人も受け入れられることだと

誰かが言ってた

 

 

その意味で彼女は強かった

 

 

私も強くなった

 

 

いくら強くなっても

 

不安は消えないし自信がないし孤独だし

 

人は、物事は、強い人を察知してそちらに流れてくるし

 

 

彼女は受けとめられなくなった

スポンジの吸収力は限界だった

 

 

 

強くなったって全然いいことない

 

弱さを晒し、わがままに生きるのがよい

 

 

だけど、それがいいからと言ってそうしようと思っても

なかなかできないのだよ

 

できてる人はそんなことこれっぽっちも考えずにできてるの 

 

 

 

 

命は大切

毎日を感謝して生きる

 

これらのフレーズ

辟易してる

 

私は人間はそこらに生えるカビとか

雑草とか蚊とかとかいっしょじゃんと思ってる

 

命は知らん間にあった

もう生きるしかないのだ死ぬまで

 

もうそれだけ

 

生きるに従う

死ぬに従う

 

それだけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

ねがい

人生はほんとうに短いと思う

短いと思えているうちに

できれば日常の忙しさや問題にまみれながら一生を終えたい

 

だって毎日お腹が減ったり眠くなったりするのといっしょでしょ

 

命を終えた人々には

「おつかれさま」と言います

 

私にも

その時はその言葉をかけてください

 

 

出たとこ勝負

スペイン語講座では先生は名簿順に当てる

皆さん用意周到なのがすごい

皆、今日はどこまでやって誰まで当たったかをしっかりメモって帰る

動詞の活用を言わされるのでノートやテキストにはしっかり動詞の活用をメモったり、表にして別に持ってる人もいる

自分がどのあたりがあたるか割りだしてる

 

私は

当てられてできなくてもいいやのスタンス

 

最近ようやくどこまでやったか、時々気づいた時は印を入れるようになった

予習する時のため。

誰まであたったかまではめんどくさくて

いつまでも習慣にはならない

最近やっと前田さんの後てことは覚えた

 

当たる箇所を割り出すのがめんどくさい

そこが当たるかどうかって緊張するのが嫌

活用どこに書いたっけと探すのにまた緊張する

小手先が器用じゃない

細かい?ことが苦手

出たとこ勝負

 

いつの間にかそのドキドキが楽しい

 

活用言わされて

先生が「ほら頭がにわかに緊張したでしょう

それがいいんですよ」

 

 

用意してたもの読むだけじゃおもしろくない

自分の頭から捻り出す緊張と興奮がいいんだよね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の手

おねえちゃん!

てふいに声かけられて見てみたら

妹の古い友達のmhだった

一瞬誰かと思った

 

なんか変な気がしたのは彼女が眉を上がり気味に描いてふんわりした髪にイヤリング

りっぱな?大人顔だったからだ

大人の顔におねえちゃん!と呼ばれる不思議

 

 

私の顔はどんなふうに大人なのかおばさんなのか見当もつかない

 

男で苦労した顔とは違うのは分かる

mhは男で苦労したクチ

(男で苦労した人はたいていお金でも苦労している)

 

私の顔は言うとしたら

自分に苦労した顔?

 

私のシワは顔に刻まれず、

手に刻まれてるんだと思う

もうほんとシワだらけ

ありとあらゆる線がある

 

いわゆる霊感系のやつも

けっこうある

神秘十字とか

そのあたりクロスだらけだ

 

 

実際のところ私はいくつに見えるのだろう

 

もう誰も正直に言ってくれないだろう